旅行記を書くのが好きだ。そう思う理由として、その時を振り返ることで もう一度その地へ旅することが出来る。
旅行中に動悸躍っていたはずの気持ちは、感情を持たないロボットのように働く毎日に いつの間にか掻き消され、 喜怒哀楽が迷子になってしまったように、このブログに旅行記を綴ることさえ億劫になる。( 面倒くさがりが度を過ぎるわたしの性のせいでもあるが。)
そんなふうでも、 なんとなく思い立って執筆していると書き起こしたい気持ちが止まらなくなってしまう。
。。。というかそもそも、 文章を書くことが好きなのかもしれない。
それは絵を描くときと少し似ていて、コンディションが良い日には やらなければいけない事そっちのけで、 永遠にペンを握っていたくなる。
幼少期の頃から女の子の絵を描いているのだが、 この行為は大人になった今でも唯一続いているわたしの趣味である 。
決して独創性があるわけでもないのは分かっているし、 思い描いているものが描けないことのほうが多いくらい、 上手いとは言い難い絵だと思う。
それでも絵を描くことは、自分に居場所をあたえてくれる、 特別な行為だと思っている。
もうひとつ理由があって、行きたい記憶に連れていってくれる ということ。
あの日あの時の場面は、もう二度と戻ることが出来ないけど
絵の中ならその記憶にたどり着ける気がするのだ。
そんな感情で絵を描いてきたものだから、誰かにわたしの描く絵は なんだか暗い と言われたこともあったが(多分小馬鹿にされていたのだが)、言葉にすればその表現が正しいのかもな、と妙に納得した。
すっかり話が飛躍してしまったが、そもそも今日の記事の本題はおすすめしたい本があったのだ。
オードリーの若林さん著。
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
本好きの同居人が、読み終わったこの本をリビングに置きっぱなしにしていた。装丁に犬がいる という理由(人生のほとんどを犬と過ごしている程の犬好きである)だけで、最初の1行に目を通す。
気づけば一日で終盤まで読み続けていたこの本の内容は旅行記だった。
日本から海外へ飛び立つ瞬間、現地で観光した場所、宿泊したホテル、出会った人、その国の歴史・経済、珍エピソード、帰国する時の胸中と旅先での少しの写真。
誰もが旅行記を綴る上でフォーカスをあてるであろう事を若林さんも書いているのだが、正直、参りました という気持ちになった。笑
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
この本ではちゃんと、旅しているその国へ連れて行ってくれるのだ。
自分もこのブログで旅行記を綴っている。「自己満足」と言えばそれも間違いないのだが、わざわざネットに晒しているくらいには、良い旅行記だと思われたい ぐらいは思っている。
だがこの本を読んで、これが本当の意味での"旅行記"なんだと感じた。
自分の旅行記なんて、広告を貼り付けたいだけのひとつの手段としてしか見えなくなってしまって、少し恥ずかしくもなった。
わたしが書(描)きたいのは、見てくれている誰かをどこかに連れ去る感覚に陥る様な、文章や絵 なんだと気付かされた。
…そもそも若林さんと比べるところで、立っている土俵が違うのは百も承知だけれど、目標を持つ事は大事だよな☆〜(ゝ。∂)と、自分を肯定したみたり。
わたしはどこかへ行きたがっている。
そんな人は是非読んで欲しい。